プロフィール
発足の経緯  日本鋼管合唱団(混声)は女声パートの減少により、平成4年の日本音楽祭の出場をもって事実上活動を休止しましたが、同年秋、男声からの要請が強く、男声合唱団として発足することになりました。
 時のリーダーであった斎藤信治が、その後メンバーの充実を考え、当時所属していた「根岸混声合唱団」(現在の「上野混声合唱団」)の男声陣の協力を仰ぎ、都内では「上野メンネルコール」として台東区合唱祭に参加するほか、日本産業音楽祭には「NKKコールクリエイティブ」(後の「NKKメンネルコスモス」)として平成5年38回大会より50回まで参加してきました。
 この間、横浜市内の活動では、名称も「横浜メンネルコール」と変えて、女声合唱団との共演に加えて、横浜コーラルフェストや市内の地区センターの文化祭にも積極的に参加して今日に至っています。



名称の変遷  日本産業音楽祭は、職場の音楽団体のステージであるため、社名を使わざるを得ず「NKKコールクリエイティブ」としましたが、その後「財務省(当時は大蔵省)コールコスモス」のメンバーの参加もあり、名称の一部にコスモスを入れ、「NKKメンネルコスモス」としました。
尚、横浜市内での活動では、現在の「横浜メンネルコール」として活動してきました。